よどがわ生協

ヒロシマ・ピースツアー2019報告

2019年10月01日

8月5日(月)~6日(火)、組合員18人(内訳:大人12、子ども6(小学1年~6年生))と事務局3人の計21人で広島へ出発しました。
ヒロシマ・ピースツアーは被爆地広島を見て・聞いて・感じたことを通じ、核兵器のない平和な世界に向けて私たちができることを考えようという企画で、毎年この日に広島を訪れています。


<8月5日>初日
日本生協連主催ピースアクションinヒロシマに参加しました。
メインテーマは『ヒロシマの心を次世代のあなたへ ~知って、感じて、動き出そう~』です。

はじめに【アニメと被爆証言】企画に参加し、矢野美耶古さん(広島県被団協常任理事・元よどがわ生協理事)から、被爆当時の貴重なお話を伺いました。

74年前の8月6日、矢野さん(当時14歳)は体調不良で中学校を休んでおり、爆心地から約4km離れた自宅にいました。学校は爆心地から約500mにあったため、登校していた生徒・教師は全員亡くなり、生き残った生徒は矢野さんを含めてたった3人でした。
先生からは「生き残り」と呼ばれ、遺族からは「真面目な(登校していた)生徒が死んだのに...もう顔も見たくない」と言われ、恥ずかしさや生き残ってしまった後悔から何度も死のうと思ったそうです。

今年で88歳となる矢野さんは、当時の辛い経験を乗り越え、平和な世界になることを信じてお話しされていました。

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午後からは、全国の生協組合員が一堂に会する【虹のひろば】に参加しました。

オープニングは、広島市立千田小学校の合唱隊による演奏から始まり、ひろしま協創高校による広島の悲しみや怒りを表現したダンス、日本被団協事務局次長藤森さんの被爆の証言を聴きました。
また、広島市立基町高校の生徒が制作した「原爆の絵」の紹介がありました。「原爆の絵」は被爆者の方から何度も状況を聞き取り、当時の資料を探し、約1年がかりで描かれたものだそうです。証言をした被爆者の方からは「描いてくれて嬉しい」と言ってもらえたことが、学生さんも嬉しかったそうです。

展示ブースでは、原子爆弾についての資料を見ながら熱心にメモしているお子さんや折鶴を折る参加者が見られました。企画の最後には広島市長と長崎市長が挨拶され「核兵器廃絶については広島と長崎だけの問題ではない。世界中で考えてほしい」と話されていました。

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【虹のひろば】終了後、広島平和記念資料館へ向かいました。

資料館には、爆心地から半径2.5キロメートルの市街地を、被爆前と被爆後の航空写真を基にCGで再現した映像や遺留品の数々が展示されていました。
当時のあまりにも生々しい写真に、目を伏せ、お母さんの後ろに隠れるお子さんの姿がありました。焼け焦げた三輪車、溶けたガラス瓶、原爆投下直後の写真など、核兵器の脅威を目の当たりにしました。

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<8月6日>2日目
8時から平和祈念式典に参加しました。

平和記念公園には海外からも多くの方が集まっており、会場では原爆が投下された8時15分から1分間黙祷をおこない、平和への祈りを捧げました。

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日本生協連の碑めぐり(フィールドワーク)に参加しました。
生協ひろしま「碑めぐりガイドの会」の小泉さんによる語り部で、慰霊碑や像を見て回りました。

原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め、平和を築く為の像として作られた「原爆の子の像」では、よどがわ生協から千羽鶴3つ(島本在住の組合員さんより2つ、平和グループより1つ)を捧げました。
千羽鶴を作っていただいた島本在住の組合員さんは、「8月6日、9日が近付くと平和への想いが強くなります」と語られました。

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午後からは、爆心地から約3.7㎞離れた「江波山気象館」を見学しました。

気象館には今でも壁にガラス片が突き刺さっており、爆風で窓枠が曲がったままになっています。当時の気象図や黒い雨の降雨時間などを記した資料を見たり、サイエンスショーなど親子で楽しめるアトラクションを体験しました。
また、参加者同士でこれまでのツアーの感想を共有し、平和への想いを確認しました。

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参加者感想・・・・・・・・・・・・・・ ※一部抜粋

『ピースツアーで初めて広島に行きました。矢野さんのお話を聞いて心に残ったのが「生きててよかった」ではなく「死んだほうがましだ」ということです。きしょうかんにいったときもバスで時間がかかったのにここまでえいきょうがあるということでした。原ばくドームが世界遺産になっている理由は核兵器をなくすことをめざし平和の大切さをうったえるためです。このピースツアーに参加して平和の大切さをしり、もう二度と戦争をしない世界をめざしていきたいです』(10歳・男の子)

『ぼくは、アニメ「太陽をなくした日」を見て、風だけで人や家がとんでいくなんてすごい風だとよく分かりました。今では台風でもおそろしいのに、ばく風はもっと強いということがとても分かりました。空は青くなく黒でおどろきました。平和記念しりょうかんではもけいでのプロジェクションマッピングで一つのばくだんが落ちて何もかもがなくなったから、ばく風のいりょくがすごく強いというのが分かった。そのばくだんで14万人の人が死んでしまいました。平和記念しりょうかんにはばくはつの後の絵やぼろぼろになったふくやびんなどがおいてあります。その一つのビンに3㎝ほどのへこんだビンがありました。そんなにへこむなんて思ってもいませんでした。せんそうの時にぼくはいなかったけど、そのビンやお話を聞いてすごくばくはつのおそろしさがわかりました。ぼくがまず人にやさしくして、それをもっと広げて世界じゅうの人がみんなが平和になれる社会を作りたいです』(8歳・男の子)

『令和元年という節目の年に初めて広島に訪れることができました。実際に訪れてみるとやはり悲しい気持ちになりましたが、怒り・苦しみだけでなく世界中の平和を祈る広島にとても感動しました。私が特に参加できてよかったと感じたことは【虹のひろば】です。そこで、沖縄の子が「命は宝」「命は大事にして大きい!」と言っているのを見てすごくストレートですが本当にその一言に尽きるととても印象に残りました。資料館では小学生の子どもには少し残酷で「見ていられない」と言われましたが作られた映画などでは決してなく現実に起きたことなのだと、できる限り見てみるように伝えました。(戦争は恐ろしいこと)だと思うことができるのは知っているからだと思うからです。ピースツアーの最後に娘から来年の式典に合わせて千羽鶴を作ってみたいという言葉を聞いて、娘なりに何かを感じ、学び、行動にうつそうとしています。一緒に参加することができて本当に良かったと思えました。私たちは、戦争はどれだけ悲惨なものか、二度と核爆弾を使ってはいけないということを伝えていかなければならないとともに、命の大切さ、人への思いやりとやさしい心を大事にしていきたいと思います』

『原ばくで、赤ちゃんからお年よりまで何も罪のない人が原ばくによってたくさんなくなりました。ぼくたちは、このようなことを二度とないように広島に行ってそれを多くの人に伝えてかくへいきのない世界をめざしていきたいです』(8歳・男の子)

『体験者の矢野さんのお話を聞いて、戦争や核爆弾は私が思っていた以上におそろしいものだとあらためて思いました。そして、アニメ「太ようをなくした日」を見て、(こんなふうにかんたんに人がとばされるのか)とこわくなった。広島平和記念資料館では衣服が展示されていた。爆心地から1500mもはなれた場所にあった三輪車は、黒こげになっていた。1500mもはなれているのに黒焦げになるのかと思った。今回のツアーでもう戦争はほんとうにやってほしくないと、あらためて思いました。私は、ツアーの中で千羽づるがたくさんあったので、私も平和への祈りを込めて、千羽づるをおってみたいと思いました』(11歳・女の子)

『げんばくドームがすごかった。知らないことも多くてびっくりした。これからもわすれないでおこうと思う。ほかにも分からないことがたくさんあると思う。また広しまにいこうと思う。長さきにも行きたい。いろいろなことが知れてよかった』(9歳・女の子)

『原爆のことがよくわかった。原爆ドームもすごくやきつくされていた』(7歳・男の子)

『8月6日に広島に行くのは敷居が高いように感じていたのですが、当日の平和記念公園の様子や、公園内の碑めぐりなど8月6日だからこそ経験して良かったと思いました。ツアーに参加するまで、毎年広島で生協がピースアクション集会をしていると知らず、食材宅配だけでなく全国組織で平和活動をしている側面も知れてよかったです。参加したイベントの中では、被爆体験のお話を直接聞けたのが特に印象に残りました。修学旅行で聞いたころとは違い、子どもを育てる立場になった今、自分の力でどうしようもない困難にあったときに生きる希望を失わないようにする姿勢を教えて頂けたように思いました』

『私自身広島へ行ったことがなく、子ども達にも8月6日がどういった日なのか、実際に足を運んで感じてほしいと思い、今回参加しました。被爆の証言をしてくださった矢野さん、フィールドワークで碑めぐりガイドをしてくださった小泉さんからは戦争の残酷さを教わるだけでなく、次の世代に伝えていくことの大切さを学びました。ヒロシマ虹のひろばでは、小さな子から年配の方まで幅広い年代で構成されている合唱団、高校生による原爆の絵などを見て、広島の方が一体となって平和への取り組みをされていて、「ヒロシマの心」を強く感じました。松井広島市長、田上長崎市長からは「原爆は過去の話しではなく未来の話であって、広島長崎だけの問題ではない。ピースアクションとは、広島長崎以外の人が発信していくことが大事なのです」と仰った言葉が心に残っています。ピースツアーを終えて、家族で戦争や核兵器について話をするようになり、又周りにどう伝えていけば良いのか、(行動するのか)考える機会が増えました。1人では小さな力でも周りを少しずつまきこんで大きな力(核兵器禁止条約の締結)に繋がるといいなと思っています』

『今回のピースツアーでは、語り部の矢野さんと碑めぐりガイドの小泉さんの2人の被爆者に実際お目にかかり、肉声を聴けたことが一番心を打つ経験でした。広島のことを学ぶ中でTVや新聞などで今までも多くの被爆者の方のお話を伺ってきましたが、初めて自分の目の前で語っていただき、その重みを感じました。長い人生を過ごされて尚、広島・長崎に起きた惨劇が二度と他の方々に降りかかってはならないとの強い意志が伝わってきました。矢野さんは14歳の女学生だった8月6日の当日、お腹を壊して学校を休んで爆心地から4キロ離れた自宅にいました。学校の同級生たちは、空襲で火災が広がらないよう建物を一部壊す作業を爆心地近くでしていて、矢野さんを含め3人以外は全て亡くなったそうです。同級生の親から真面目に学校に行った我が子が亡くなったことをなじられたり、国のために死ぬのが是とされていたので死ねばよかったと思ったり、4キロ離れていても被爆をし、被爆死された方を火葬して二次被爆もし体調も優れず、引きこもる時期も長かったそうです。そんな中被爆の実状を聴き取る活動を始めてから、原爆の悲惨さを後世に伝えなくてはという使命感からか、徐々に元気になられたそうです。碑めぐりガイドをしてくださった小泉さんも背中の痛む時期もあったそうですが、とても健脚で歩くのが早く、ガイドを始めてからの方が元気ねと言われるそうです。小泉さんの生命力も使命感から輝いているように思えました。 来年も多くの方が広島の方々の人類の普遍的な問題として訴える真摯な平和の祈りに直に触れていただきたいです』

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ヒロシマ・ピースツアーを通じ、被爆者の平和への想い・核兵器の恐ろしさを痛感しました。
小学生のお子さんも含め、世代を超えて平和について考える貴重な2日間となりました。

2020年に開催される「NPT(核不拡散条約)再検討会議」へ、よどがわ生協からも代表を派遣します。
今後も組合員の平和への想いとともに、被爆者の悲願でもある核兵器廃絶への歩みを進めることをめざします。

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