よどがわ生協

2025ピースアクションinヒロシマ

2025年09月02日

今年度は、被爆・戦後80年の節目の年です。


被爆者の平均年齢が86歳を超え、直接お話を伺う機会も減ってきています。
戦争を知らない世代が多くを占める中、生協が平和活動に取り組む理由や私たちができる具体的な行動とは?と考えさせられる2日間となりました。ピースアクションinヒロシマ・ナガサキ※に現地参加した報告です。


※ピースアクションinヒロシマ・ナガサキ


日本生協連が「平和とよりよい生活のために」という理念のもと、1978年より平和活動「ピースアクション」に取り組んでいます。ピースアクションは、戦争・被爆体験の継承や、世界のさまざまな戦争や紛争、基地問題、憲法など、多角的なテーマで平和を考える取り組みです。


今回は、事前に組合員・役職員で「平和の想い」を込めて作成した千羽鶴とともに広島へ向かいました。
3,000羽を超える折り鶴が集まりました。


日程:2024年8月5日(火)~6日(水)
参加:組合員1人 組合員理事3人 職員3人


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1日目


広島に到着後「おかあさんの被ばくピアノ」を視聴しました。
被爆したピアノを修理し、調律している被爆2世の男性とその被爆ピアノを寄贈した母の娘が、そのことを知り、ヒロシマについて考え、自分のルーツを探っていく物語です。
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※映画視聴後に監督や映画のモデルとなった調律師の方が来場され、映画のエピソードについて語っていただきました。


午後からは、全国の生協が一堂にあつまり「虹のひろば」が開催されました。被爆ピアノの演奏で合唱もありました。
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胎内被爆※をされた濱住さんの被爆証言や被爆証言者の記憶に残る被爆時の光景を聞き取り、高校生が絵に描き、当時の状況を伝える「原爆の絵」の制作の取り組み発表がありました。
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※胎内被爆

原爆被爆者の中で、母親のおなかの中で被爆された方を胎内被爆者といいます。 胎内被爆者については、その後の調査で小頭症(しょうとうしょう)と呼ばれる疾患が増加したことが確認されました。


会場内では各生協の出展ブースがあり、「平和の取り組み」について活動紹介がありました。
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「虹のひろば」をあとにして、平和公園内「原爆の子の像」にて千羽鶴を奉納しました。
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その後、平和記念資料館へ向かいました。
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2日目


平和祈念式典に参加するため、早朝より平和公園へ向かいました。
例年より来訪者も多く、原爆の子の像の近くで式典の様子を見学しました。
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式典後は、爆心地⇒11号絵碑※⇒本川小学校の見学を経て、広島県原爆被害者団体協議会事務所にて、元よどがわ市民生協の組合員である矢野美耶古さんより被爆証言を聞かせていただきました。


8月6日の建物疎開作業を偶然に休んだために助かった命、その後は「生き残り」と呼ばれ、友人の遺族からは「真面目に行った子が死んでサボったもんが生き残って」と責められ「死ぬことばかりを考えていた」との当時の辛い思いや証言活動に至った経緯、よどがわ市民生協との出会いなど、貴重なお話を拝聴しました。


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※11号絵碑

「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」による取り組み。2025年7月、19年振りに絵碑の設置があり、広島県生活協同組合連合会の呼びかけでよどがわ市民生協も寄付しています。


2024年、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞しました。
核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて示してきたことが授賞理由です。


しかし、「核兵器のない世界」という被爆者の願いは未だ実現していません。
本当の平和のために、一人ひとりが考え行動することが大切です。


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<参加者の感想(一部抜粋)>


「私は幼い頃から幾度となくこの地を訪れ、小・中学時代当たり前に平和学習で学んでいたと思っていたのですが、このピースアクション in ヒロシマのプログラムで初めて足を運んだ場所、初めて知った事が思った以上に多く、大変有意義な2日間となりました。平和祈念式典の中で子ども代表の二人が力強く発信した One Voice『たとえ一つの声でも、学んだ事実に思いを込めて伝えれば変化をもたらすことができるはずです』、という言葉には、市民一人ひとりは微力だけど決して無力ではない、歴史を学び、一歩でも行動することをよどがわでも進め、平和と安心安全を守り続けようと切に思います」


「二度と戦争をしてはいけない。今ある日常は当たり前のことではありません。日常が一瞬で奪われる事がある事を私たちは知っておかないといけません。あの日あの時間に広島で感じたこと、そして現地にいくことで新たに疑問も沸いています。広島で学んできた事はごく一部で、表面的です。これからも知る事を大事にしたいです。80年経ってもいまだに心、体に傷を負った人がいます。終わらない戦争をもう二度としない為にも、特に若い方へのきっかけづくりに力を入れていきたいです。『平和でなければ安心安全はない』矢野さんの生協加入のきっかけになったフレーズです。この意味を再確認してこれからも想いを繋いでいきたいです」


「8月6日の広島は何度訪れても心にずっしりと重くのしかかって来るものがあります。今回、ピースアクション虹のひろばでの濱住治郎氏の体内被曝者としての生まれた時から被爆者、また多くの原爆小頭症による障害のことや、被爆後の女性から生まれた子供達に顕れた奇形などをABCC(原爆傷害調査委員会)が届け出ることを命じていたとの矢野さんの証言など忘れてはならないことだと強く思いました」


「(矢野さんの体験談より)終戦してからも、命が助かったのに「生き残り!」と言われることが辛かった、建物疎開作業をさぼったから生き残ったのだと、同じ広島の人の間でもそのような差別的なことがあったと聞きました。被爆したことも言えず、死にたいと何度も思ったと、戦争は終わっていても長い間どんなにか地獄だったのではと思います」

よどがわさん イメージ

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